第1話 深夜のパーキングエリア
午前2時のパーキングエリアは、エンジンの墓場みたいだ。
トラックが何十台も、鼻先を揃えて眠っている。運転席のカーテンの向こうで、男たちが仮眠を取っている。誰も喋らない。自販機の光だけが、やたらと明るい。
俺は運転席のドアを開けて、地面に降りた。
降りる、というより、落ちる。膝がこわばっていて、一段の段差がやけに遠い。埼玉を22時に出て、もう4時間ハンドルを握りっぱなしだった。腰から下が、自分の身体じゃないみたいに固い。
地面に足をついて、両手を腰に当てて、上体を反らせた。背骨のあたりで、ぼきり、と音がした。40を過ぎてから、この音の回数が増えた。
自販機で缶コーヒーを買った。微糖。三本目だ。プルタブを開けて、一口飲む。甘い。胃の底が、少しむかついた。
平田剛。44歳。大型トレーラーの運転手を、もう15年やっている。
主に関西便だ。埼玉の物流センターで荷を積んで、夜のうちに大阪まで運ぶ。折り返して、朝に戻る。世間が寝ている時間に走って、世間が起きる頃に帰る。その繰り返しで、15年。
荷台には、明日スーパーの棚に並ぶものが載っている。飲料、菓子、日用品。俺が今夜走らなければ、明日の朝、どこかの棚が一列ぶん空く。誰も気づかない。空いた棚を見て「入荷が遅れてるな」と思うだけだ。その「遅れ」の裏に、居眠りで突っ込んだ誰かがいるかもしれない、なんてことは、誰も考えない。
それでいい。見えないのが、俺たちの仕事だ。
缶コーヒーを飲み干して、飯にするかと思った。この時間まで走ると、腹が減っているのか減っていないのか、自分でも分からなくなる。ただ、食っておかないと後半が持たない。
フードコートは24時間開いている。かつ丼を頼んだ。大盛り。券売機のボタンを押すとき、指が勝手に「大盛り」を選んでいる。腹が減っているというより、これだけ走ったんだから食う権利がある、という気持ちのほうが近い。
揚げ物と白飯を、かき込むように食った。10分で完食した。胃が、ぐっと重くなる。この重さが、走る燃料になる——ずっとそう思ってやってきた。
トラックに戻って、運転席に座り直した。
シートベルトを引っ張ったとき、腹が突っ張った。ベルトの下で、胃のあたりが焼けるような感じがした。胸やけだ。最近、これが増えた。特に、飯をかき込んだあとの1時間。喉の奥まで、酸っぱいものが上がってくる感じがする。
水を一口飲んで、ごまかした。ガムを噛んだ。だいたいこれで、走っているうちに治まる。
ダッシュボードの上に、封筒が一枚、放り出してある。
会社の健康診断の結果。三週間前に届いた。開けていない。開けなくても、だいたい分かる。去年も「要再検査」の項目がいくつかあった。血圧、肝臓の数値、血糖。医者に行けと書いてあるんだろう。行く時間があったら寝ている。
封筒を、助手席の物入れに押し込んだ。見えないところに。
スマホが震えた。娘のひなたからのLINE——ではなかった。妻の美和子だ。「明日の夕方、ひなたの三者面談。行ける?」。
行けない。明日の夕方は、この便の折り返しで、まだ名神を走っている。既読をつけて、返事を打とうとして、指が止まった。何回、この「行けない」を打っただろう。打つたびに、家の中で自分の席が一つ、静かに減っていく気がする。
スマホを伏せた。
エンジンをかけた。ディーゼルの低い唸りが、身体の芯に響く。この音だけは、15年経っても嫌いにならない。
パーキングを出て、本線に合流した。深夜の高速は、トラックばかりだ。同じように、見えない荷物を運ぶ、見えない男たち。ヘッドライトの列が、赤い尾灯の列と、すれ違っていく。
ラジオをつけた。深夜放送。パーソナリティが、リスナーからのメールを読んでいる。誰かの、どうでもいい悩み。でも、その声があるだけで、少しだけ孤独が薄まる。
胸やけは、まだ少し残っていた。腰も張っている。目の奥が、じん、と重い。
どれも、大したことじゃない。15年、こうやって走ってきた。身体はガタが来ているが、まだ動く。動くうちは、走る。それが俺の仕事だ。
——ただ、最近、その「まだ動く」の「まだ」が、前より近くに聞こえる。
気のせいだ。そう思って、俺はアクセルを踏んだ。
メーターの針が、静かに上がっていった。窓の外は、どこまでも暗い。大阪まで、あと200キロ。
次回:「開けられない封筒」/◯月◯日(金)6:30更新